ヒロシ さま

ヒロシ さま

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「お母さんの様態が今朝方より悪化しているので、すぐ病院に来れますか?」

11月初旬の日曜の早朝、食事をしている最中に、母が入院している病院の主治医より連絡が入り、すぐさま病院へ車を走らせました。
前日の夜遅く、私は母の見舞いのために札幌より福岡の実家に帰って来ていました。

昨年の4月末、体調不良を訴えていた母は病院での検査の結果、癌と宣告されました。
奇しくも以前一緒に住んでいた母親(私の祖母)と同じ75歳の年齢での癌の発病に「お母さんと同じ歳に同じ病気になっちゃったわ。でも、お母さんもそれから5年頑張ったから私も頑張らなきゃね」と母は笑顔で話していましたが、動揺している私達子供達以上に一番動揺していていたのは母だったと思います。
8年程前、夫(私の父)を亡くした後、母は気晴らしにダンスを始めました。もともと運動が得意で、社交的な母はすっかり夢中になってしまい、入院の直前まで大勢の仲間と全国各地の大会に参加するほど元気にしていました。
そんな元気一杯だった母なので、何とか乗り切って、再度軽やかなステップを踏んでくれるものと信じて疑いませんでした。

私が病院に着くと、母はすでに意識が朦朧となった状態でした。追って近くに住む妹も駆けつけました。その後状態は少し落ち着いたものの、昼を回る頃には再び悪化し始め、午後2時過ぎに意識が戻ることもなく、あっけなく息を引き取ってしまいました。
午前中、小康状態になったものの目を閉じたまま、こちら側に顔を向け苦しそうに息をしている母の手を握り「僕だよ」と声を掛けると、何と母は一瞬両目を見開きました。私が見舞いに来たのに気付いてくれたのでしょうか?きっと気付いてくれたのだと私は信じたい。

その後は、通夜、葬儀と母の死の悲しみに暮れる間もなく、慌ただしい日々が過ぎました。
祭壇は、母は花が好きだったため、葬儀担当の方のアドバイスも頂き、花で埋め尽くされた祭壇にして頂きました。「○○ちゃんらしい」と参列頂いた方からも、お言葉を多く頂きました。
予想外だったのは、母の友人が大勢参列頂いたため式場に入りきれなかった事です。元々友人が多いことは私も承知していましたが、それに加えてダンス仲間の方も大勢参列頂き収拾がつかなくなりそうでしたが、会場担当の方の臨機応変な対応により何とか対応できたかと思っております。
慣れない大変な段取りでしたが、葬儀関係者、親戚の方々また妻の支えによって無事執り行う事が出来たかなと思っております。
母の死によって、母がどれだけ良き友人に囲まれ、また支えられていたか、また慕われていたかを教えられました。
私達子供達にも、母親として大きな愛でいつも優しく見守ってくれたことに心から感謝しています。
生前には口に出して言えませんでしたがこのように母に伝えたいと思います。

「お袋の息子であったこと本当にありがとう。感謝しています。お袋が僕の母であったことを誇りに思います。後のことは心配せずに安らかに眠って下さい。」

 

三人のおじさん

三人のおじさん

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三人のおじさん

知人の結婚式に呼んでいただきました。

宴もたけなわ、という頃に電報のお披露目がありました。
電報といえば、議員さんだの、会社の偉い人だの、有名人だの、といった本人よりもその親御さんの付き合いなどのものが案外多かったりしますが
今回はまさしくその親御さんの付き合いの方からの、電報ではなく手書きのお手紙の披露がありました。

自称「ゴルフ大好き三人組」のおじさんからの心温まる手紙でした。
赤ちゃんの時から見つめ、案じ、かわいがり続けた、まるで新婦のお父さんがもう3人居るかのような、思いのこもったお手紙でした。

そんな新婦さんは、きっとご主人のお友達を大切にできる人で、そんなご主人もまた奥さんのお友達を大事にすることになるのだろうと
人の出入りの絶えない、明るい家庭が目に浮かんで、とても幸せな気持ちになりました。

 

みゆき さま

みゆき さま

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七五三

先日テレビでサザエさんの実写版を見ていて、自分の七五三のことを思い出しました。
私も姉のお下がりの着物で、ワカメちゃんのように新しい着物がうらやましくて、うらやましくて、たまりませんでした。

末っ子だった私はなにかにつけておさがりばかりでしたから、よくその事ですねていたものです。
母が着物の柄の説明とか、この着物はどんなに上等なのか、とか、このかんざしは珍しいものなんだとか、本当かどうかはわかりませんが(笑)一生懸命してくれたことを懐かしく思い出しています。

私の娘も、私や姉、いとこ達が身につけた帯とかんざし、それにぞうりを履いて、チリンチリンと鈴を鳴らしながら歩きました。

やっぱり私と同じように、重いだの、足が痛いだの言いながら・・・・・
また娘の娘が、身につけてくれる日がくるのでしょうか。

 

岡崎市 オグチさま

岡崎市 オグチさま

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敬老の日
 
幼稚園では毎年敬老参観があります。
子どもたちは、かわいい手でプレゼントを作っては、おじいちゃんおばあちゃんに手渡します。

今年はそれぞれの子どもが思い思いの絵を描いた、かわいいエプロンでした。
最近では子どもが書いた絵がそのままプリントされて、洗っても落ちないんですね。

我が家はおばあちゃんが両方ともいなくなってしまったので、写真の前にお供えして、それから私が代わりにもらいました。

おばあちゃんたちの分まで、大事にしたいと思います。

 

岡山県 さんさるさま

岡山県 さんさるさま

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恩師が亡くなったとの知らせから約1ヵ月後、学生時代の友人達と先生の研究室を訪ねました。

天井まであった本や書類は無くなって、すこし雰囲気が違って見えました。私たちはそれぞれ、当時のお決まりの場所に腰掛けて、先生の思い出話を始めました。ひとしきり話し、友人の一人が

「先生がいた時みたいだね。」

とつぶやいた時、みんなの視線が先生の机に向かいました。いつもそこから私たちの話に耳を傾けてくれていた先生が、本当にいるかのようでした。

葬儀には参列できなかった私たちですが、自分たちなりのお別れが出来たように思いました。

 

岡山県 ナカギリさま

岡山県 ナカギリさま

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初盆

 父の初盆でした。
 葬儀会社の女性の方がお花を持ってわざわざ来てくださってびっくりしました。

 「お盆休みにすみません」
 という私に

 「私たちには盆休みはありませんから、お気になさらないで下さい。ちゃ~んと別の日にお休みをいただいてますから!」

 ちょっと茶目っ気のある笑顔でそう言ってくださる彼女は、まだ30歳にならない若い方。

 こちらまで自然と笑みがこぼれます。
 
 父は彼女と直接は話していませんけれど(当たり前ですね!)
 きっと、通夜の時から好ましく頼もしく眺めていたに違いありません。
 
 父が繋いでくれたこのご縁に感謝しながら、手を合わせました。

 

大阪府 マユミさま

大阪府 マユミさま

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大阪でヘアメイクの仕事をしています。

毎週末は結婚式のお仕事が多いのですが、先日は仲のいい友達が、旦那様の実家で結婚式を挙げるということで初めて地方での結婚式の仕事をしてきました。

式場は全国あちこちにあるゲストハウスでしたから、今流行のものがすべて揃っていて、どこもそんなに変わらないんだ、なんて思っていました。

でも、最後にとっても驚いたことがあったのです。

夜もすっかりふけて、お客様が皆さんお帰りになって、新郎新婦さんも普段のお洋服に戻って帰られるときのことです。

昼間は純白のドレスで下りた階段にパッと明かりが灯り、新郎新婦のお名前の横断幕が用意されていてスタッフ全員がずらりと並んで、

『本日はまことにおめでとうございました!ここからがまさに本当の第一歩です。どうぞお二人力を合わせて頑張ってください!』

と、拍手の中、お二人をお見送りされたのです。


プランナーさんや支配人だけでなく、シェフもアシスタントの人も、ホント全員でした。
式が終われば、早く帰りたいのが心情なのは私にもよくわかるだけに、ビックリしました。
なんだかゾクゾクっとしてしまいました。

もちろん二人も驚きと共に大感激していて、準備段階のいろんな苦労や、不満などもいっぺんに吹き飛んだと話していました。

私自身も心地よい疲れと感動を持って、新幹線で帰りました。

 

京都府 キシさま

京都府 キシさま

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5月の始めに母を亡くしました。75歳でした。

現代の女性の平均寿命から考えても、もう少し長生きしてもらいたかったなと思います。母は肺癌を患い、手術も受け一度は快方の兆しもあったのですが、昨年秋に転移がみつかりました。高齢ということもあり、投薬による治療を担当医より勧められましたが、母は治療せずに緩和医療を選びました。

家族も皆、母が薬の副作用などで苦しい思いをするよりは、残された時をゆったりと楽に過ごしてくれるほうがいいと思い緩和医療に賛成しました。最期はホスピスのベッドの上でした。家族全員に看とられ眠るように逝くことができました。

私の仕事柄、葬儀についての知識もある程度わかっておりましたが、実際のところ自分の母の段取りをするとなるとなかなか手際良くとはいきませんでした。葬儀社に出入りしておられます花屋時代の先輩の勧めと力添えのおかげで、母の葬儀の祭壇の花を生けることができました。

もちろん今までにも仕事で葬儀の祭壇やお別れ会の花を生けてきました。しかし内心、自分の母となると果たしてちゃんと生けられるかなと不安な気持ちを持ちながら生け始めました。生前は全くと言っていいほど母の前で花を生けたことがありませんでした。

生けながら母への思いや数々の思い出が頭をよぎりながらも、花に気持ちを集中して、無事母の好きであった花を飾ることができました。葬儀に参列くださいました皆様にも母らしい花祭壇だと言って頂き、また自分としてもデザインや装飾という観点ではなく、花の世界に身をおいて経験を積み重ねてきた「私の花」が生けられたと思います。

技術の成果と言うより自分の自然な姿で、母の前でいい格好するのではなく「あなたの息子はこんなふうに成長し、花に携わる仕事をしてきました。幸いな事に自分の好きな仕事を続けてこられました。」と、そんな今日の花を母に見てもらえたかなと思います。

ただ祭壇の花に囲まれた母の遺影を見ていると、自分の親不孝に情けなくなりました。長く好きな花の仕事を続けてこられたのは、まわりの皆様に支えて頂いているおかげです。いつも感謝の気持ちを持って仕事をする事は、母から教えられました。

私も重々その気持ちを大切に思ってまいりました。でも実に情けない事に、その教えを受けた母への感謝は忘れていたのでした。家族の甘えからか、口うるさい親だとばかり思う馬鹿息子だったようです。今となってはもう遅すぎるのですが、ほんとうに母への感謝の気持ちでいっぱいです。

 
 
生前、母からの言葉でいつも私の胸にあるのは

  「花を生けるのが、あなたの仕事」。

 ある時、落ち込んでいる私にかけてくれた言葉です。
 とても大切にしています。

 

Kさま

Kさま

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本物のハグ


「元気でね」。
「うん、色々ありがとう」。

次の日は、1年数ヶ月過したこの町ともお別れだ。
10年以上、ハグのある文化の中で過ごした友人は、当たり前のように、私の背中に手をまわした。
わたしも、少し気恥ずかしく、彼女の背中に手をまわした。

友人は、私をやさしく包みこんだと思ったら、一瞬、キュッ と強く抱きしめ、私を解放しながら「さようなら」とつぶやいた。

その瞬間、彼女が言っていた事が脳裏に浮かんだ。
どれだけ言葉が出来ても、他文化の彼氏はできても、同性の親友はできないと。
同じ文化を持つ友人が出来ても、みな帰って行く。
何度も、取り残された様な孤独な思い。

それは、友人の心の中の寂しさが私の心に素直に伝わった瞬間だった。

 

山口県 ナカムラさま

山口県 ナカムラさま

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入学式
  

娘の入学式は暖かい春の一日となりました。
制服が違うだけで、こんなにも大人びて見えるとは・・・・・

黒いローファーが一段と学生らしくさせているのでしょうか。
どの子もちょっとだぶだぶした制服に身を包み
新しい世界に緊張している様子がうかがえます。

早速クラブ活動に勧誘してくる先輩達に戸惑いながらも
笑顔でぎこちなく会釈する姿は
ついこの間の自分のようにも思えてしまいますが

時間の流れを目の当たりにして
自分のポジションを再確認する日にもなりました。

泣いて、笑って、悩んで、悔やんで、を繰り返し
人として、大きく大きくなってちょうだいね。   
      

母さんより