エピソード52

エピソード52

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私は12歳のときに3歳より急性腎炎を患っておりました、10歳の弟が他界し、19歳のときに直腸癌より転移の肺癌で45歳の父が他界しました。

どちらのときも死に目に会っておらず、その死に目に会えなかった理由が大変情けなく、38歳になった今でも後悔の念が度々首をもたげます。


弟は私が物心ついたころからずっと入退院を繰り返し、父や母を奪う憎しみを常に抱いていたのを思い出します。短い命とわかっている子を大切にしてやりたかったという思いが、今親となった私ならわかってあげることができますが、あのときはそれがわからなかった。弟が学校で病気を理由にいじめられたりしているのを知りながらも、完全に見過ごしてきた小さい頃の自分がいました。

そしていよいよ危篤というときに、私は病院で待機していたにもかかわらず、父母の止めるのも聞かず、そろばん塾へ行くからと一人で病院を抜けて、バス停でバスを待ちました。単なる反抗だったのです。

それに本当に弟が死んでしまうなんて心にも思っていませんでした。死ぬということが何か、あまりわかっていませんでした。心配した父がバス停まで車でやって来て、私を家まで送ってくれました。そろばん塾から帰ってきてざわざわした近所の人たちの雰囲気を感じ、何となく弟の死を予感しました。

父は決して口に出して言いませんでしたが、私のせいでたった10歳の息子の死に目に会えなかったであろう父に対して私が抱いた感情は、このまま私の魂がなくなるときに持っていきたいと思います。


その父も短い命で他界しました。父が逝ってしまう前に病院に行ったのはその1週間前…看病で疲れている母と看病の交代の約束をして、死亡当日病室に着いたときにはすでに何もかも片付けられていて、連絡の付かなかった私はその他界を看護師によって知らされることとなりました。

私は、二人ともの葬儀のときに心の中でごめんなさいとつぶやきっ放しでした。それしかいうことがなくて…それでも葬儀はどんどん進行して行きます。でも、私の耳には何も入ってきません。そんなとき、葬儀社の人が“お嬢さん、お花をたくさん入れてあげて。本当にこれで最後よ。本当にこれで最後なのよ。”と言って下さったのを、その声まで覚えています。


(大阪府 : オオノさま)

 

エピソード51

エピソード51

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幸せなことに今まで人の死にあまり関わったことのなかった私が、物心ついて初めて体験したのが祖父のお葬式でした。

内孫ということもあり、無口で物静かな祖父でしたがいつも見守るように可愛がってくれました。その祖父の死。

私は、現実味がないにも関わらず、次から次へと零れてくる涙を止めることが出来ませんでした。
お葬式の朝は、暖かい四月の雨が静かに降っていました。

「ご焼香に来てくれる皆さん、雨の中大変だね」などと母と話しながら慌ただしく支度をしているうちに時間になり、お葬式が始まりました。すると、いままで降っていた雨がさぁっと、上がったのです。

相変わらず雲は薄黒くて今にも涙雨を零しそうでしたが、それでもお葬式が終わるまで喪服が濡れることはありませんでした。

来てくださった皆さんの中からは、祖父の人徳だね、祖父が雨を止ませてくれたんだねという声がちらほら聞こえました。

皆から愛され信頼されていた祖父を思い、静かに仏前に手を合わせました。

(群馬県 : ヤマグチさま)

 

エピソード50

エピソード50

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1年半前の冬、大好きな祖母が86歳で亡くなりました。

70代になるまでテニスをしていた、元気で明るい、友達の多い祖母でした。気の強い祖母でしたので、もっともっと長生きすると思っていました。

ハイカラな祖母で、スパゲティやパンが大好きでした。病気入院中も私がお見舞いに作って持って行った手作りパンを喜んで食べていました。もちろん、棺の中に、旅のお供に、とパンを入れてあげました。きっとあちらの世界に行く途中、道々出会った人たちに、声を掛けて、一緒に食べたに違いありません。

そんな元気で明るい祖母は、自称「晴れ女」でした。

お通夜の日、直前まで降っていた雪が止み、晴れ間が出ました。お葬式の日ももちろん晴れました。四十九日も、一周忌も、祖母の故郷の雪の多い山間部の町の空を晴れさせました。そうやって晴れると、親族皆で「おばあちゃん、そこに来てるね。」と言って、亡くなった祖母を近くに感じるのでした。

きっと、これから先も、3回忌の時も、その後もずっとずっと、晴れた空の下、祖母に会えることでしょう。

(埼玉県 : トヤマさま)

 

エピソード49

エピソード49

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おじいちゃんは頑固でわがままで、いつも母を困らせていた。
母は嫁の立場で文句も言えず、そんな中、私はいい喧嘩相手だった。

「100まで生きる」が口癖だったじいちゃんだが92年の冬、お正月を家で過ごすこともできずに亡くなった。

明け方病院に駆けつけた私を意識のないじいちゃんは、待っていた。
手を握ってあげた時じいちゃんの目から涙が一粒、誰も気づかなかっただろう。私も言わなかった。

じいちゃんは待っていてくれたんだいちばんの喧嘩相手を。
手をつないだまま息をひきとった。

(静岡県 : アサカさま)

 

エピソード48

エピソード48

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祖父は自分が死んだ時のために、事前に遺影を写真やさんで撮っていたようで、いつもは笑わないのに、笑顔の遺影が届きました。

また、いつもの床屋さんには、棺に入る前に散髪して欲しいと頼んでいたようで、床屋さんが来て散髪してくれました。

周りに迷惑を掛けないようにと考えたのだと思います。

その後、お葬式では、お坊さんの数珠が切れ、バラバラになりました。それはとても珍しく良いことなのだそうです。

その後、一周忌の時にも同じように数珠が切れました。祖父の人柄をあらわしているのだと感じました。


(神奈川県 : イガラシさま)

 

エピソード47

エピソード47

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数年前、親友が若くして病気で亡くなりました。仕事に私生活に何事にも一生懸命な彼女でした。

特に亡くなるまでの1年は彼女が必死に病魔と闘っているのを間近で見ていながら、何も出来ない自分にもどかしい思いでいっぱいでした。結局何も出来ずに突然彼女は亡くなってしまい、お葬式では悲しさと悔しさで涙が止まりませんでした。

本当は私が彼女を助けられたのではないかという想いがどこかにあったのです。
その後、自分も病気にかかりました。生きているのが嫌になって投げ出したくなる時が何度もありました。

そんな風にくじけそうになった時に思い出すのは、親友の闘う姿勢でした。

闘わずに逃げようとする自分は恥ずかしい、こんな所で自分が負けるわけにはいかないと思いました。そのおかげかずいぶん快方に向かいました。

今思う事は、私が親友を助けられたかどうかよりも、親友は私を助けてくれるために私と出会ってくれた事を大切にして生きよう、という事です。

そして、自分の人生を精一杯生きる事が、親友に対する一番の供養かもしれないと思うのです。


(福井県 : コンドウさま)

 

エピソード46

エピソード46

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初婚で私より年下の、さらに長男でもある主人と、娘がいる私が家族になれることがやっと決まり、それを誰よりも喜んでくれていた主人の祖父。

とても挙式を楽しみにしてくれておりましたが、風邪を引いたことをきっかけに体調を少しずつ崩し、式の1週間前に残念ながら亡くなってしまいました。

挙式と披露宴を延期することもできない期日であり、おじいちゃんが楽しみにしていた披露宴パーティは予定通り、おじいちゃんのお葬儀の1週間後にとりおこないました。

なんともめまぐるしい6月を送った事!

親族みんなが複雑な心境で冠婚葬祭を行ったわけですが、両家にとっては悲しいながら、おじいちゃんが少々複雑でぎくしゃくしがちな宴を、毎週顔を合わせる場所を作ってくれたお陰で、滞りなく気持ちよく行えた、とあとで皆と話しました。

ありがとうおじいちゃん!


(新潟県 : ヨシノさま)

 

エピソード45

エピソード45

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父が他界したとき私は高校を卒業したばかりで、母も悲しみのあまりずっと泣いてばかりでどうしたらよいか分かりませんでした。

そんな時、葬儀社の方たちは親身になって準備をしてくれたりしていました。

今思えばちゃんとしたお葬式を出してあげられたのはこの人たちのおかげでもあり、父が今までお世話になった方たちもたくさん来てくれたからこそ今でも心に残る式になったんだと思います。

私の父はとても厳しくいつも怒られてばかり。

本音はいつも母に言っていたようで、そういえばこんなこと言ってたよ、と今になって教えてもらったりすることもあります。

いつもわがまま言ったり心配かけてきたんだなあと今さらながら反省したりもして。

もっといっぱい話したり笑ったり、そして私の運転する車に横に乗せてあげたかったなあと、今でも思っています。

(北海道 : サカネさま)

 

エピソード44

エピソード44

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子供のときに生き別れになった祖父のお葬式に出ることが叶いました。

母方の祖父だったのですが、母は私が7つのときに亡くなり、その後父が再婚したこともあってか、私たち兄妹は実の祖父母と生き別れてしまったのです。

その後、私が結婚して姓が変わったのをきっかけに再会することができました。残念ながら祖母はもう鬼籍の人でしたが・・・。

父が一方的に絶縁したような状態でしたので、親戚たちが私たちを受け入れてはくれないだろうと思っていたのですが、祖父が亡くなったとき、母の妹である叔母が真っ先に私に知らせてくれたのです。

「断る理由がないもの」と、葬儀への参列を承諾してくれたのです。

兄にとっては再会が最後のお別れにもなってしまいましたが、二度と会えないと思っていた大好きな実の祖父の最期をみとれて、最初で最後のおじいちゃん孝行ができたと思っています。

そしてまた、きっとおじいちゃんが最後に会いたいと私たちを呼んでくれたのではないかとも思っています。

(福岡県 : サトウさま)

 

エピソード43

エピソード43

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これまでも何度かお葬式に参列した。

だが、自分の母親のお葬式がこんなに早く訪れるとは、全く予期していなかった。

母はとても楽天的で、のんびりしていて、きっと長生きしてくれるだろうなあと、漠然と思っていた。でもちょうど一年前、祖母が亡くなってから、母は全く今までの明るさを失ってしまい、家からほとんど出なくなり、9ヵ月後、とうとう食べるのを拒否し、あっけなく、死を迎えてしまった。

父のあんなにうろたえた様子は初めて見た。

それからお葬式まで、忙しい時間が過ぎた。お葬式の段取りを葬儀屋さんと話し合っていく中で、母の姿を出来るだけ、元気な時のように見えるようにと、お化粧や洋服を着せてもらうことが可能だと聞いた。

父はすぐに賛成し、その夜、私達家族は母の身に着けるものを選んだ。以前母が、コーラスをしている時に、着ていたドレスと父のお土産のスカーフ。それらを身に纏った母は本当に美しく、幸せそうだった。それがせめてもの救いである。

これから何度となく思い出すであろう母の葬儀は、いつも美しく、元気な姿であることが、嬉しい。

(大阪府 : ウエナカさま)